新芽のような子供達に 私幼時報 2003年 5月号 |
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いきなり私事で恐縮だが、本誌に寄稿させて戴けるこの貴重な機会に、私の幼い頃の経験を振り返って感ずることから書かせて戴きたいと思う。 幼少の頃、私は、岡田謙三という画家のアトリエに通って真剣に絵を描いていた。それは5才から6才の2年間だったから、今の幼稚園でいえば2年保育に相当するのだろう。 岡田先生は後年、ニューヨークの画壇でこの人ありとされ、パリで活躍した藤田嗣司画伯と並び称せられた日本が輩出した偉大な芸術家である。 私は先生の下に通う大人のお弟子さん達に混じって、毎週、真剣にヌードをモチーフにした油絵を描いていた。その一方、当時盛んだった子供の写生大会などにも熱心に参加して、いつも金賞や銀賞をもらっていたことがキッカケになったのか、アメリカの有名なライフ誌が私を取材し、それがアメリカ国内版の1950年1月15日号に「日本の天才豆画伯」として1ページ全面に報道された。 この頃の経験が、その後の私の考え方や生き方に決定的な影響をもったのではないかと今にしてつくづく思う。岡田画伯のアトリエに通う前に私は兄達の後について別の絵画教室に通ったこともあったが、岡田先生との時間はそうした経験とはまったく別のものだった。先生は絵について多少の批評はされたが、人の絵に手を入れたり、差しでがましいことなどは一切仰らなかった。しかし、先生が見ておられると思うだけで、子供心に嬉しく充実感に満ちた気持ちになった記憶がある。 何も言われない先生の下で真剣に絵を描いているうちに私は次第に絵を通して、「生きることの意味」について独特な思いをもつようになった。それが後に、私自身の人生観の基礎を形成することになったように思う。おそらく、岡田謙三という天才が幼児の心に眼には見えない強烈なインパクトを与え続けたのではないか。 私の幼年時代の経験はささやかなものであるが、このわずかな、しかし私にとってはかけがえのない体験をつうじて、柔らかな新芽のように感受性の強い幼年期が、人の形成にとってどれだか大切な期間であるかを痛切に感じさせられる。私が岡田先生に遇っていなければ、私のその後の人生は全く違ったものになっていたのではないかと思う。 幼稚園とは、まさに、そうした意味で、人々の人生形成期のもっとも重要な段階に、かけがえのない役割を果たし得る機関であるといえる。幼稚園にとっては、建物も庭も予算もすべて大切だが、もっとも大切なものは、そこで、先生方が新芽のような子供達とどのような心の交流をもつかであろう。 人は人生をつうじて多くの先達から学ぶ機会があるが、そのなかでもおそらく幼稚園時代ほど重要な機会はないのではないか。いいかえれば、それだけに、幼稚園の先生方には、最も優れた資質が求められているように思う。学力も知識も大切だが、もっとも重要なものは、幼い子供達を心底、愛して懸命にその可能性を育てようとする心構えであるように思う。それが子供達の心にかけがえのないなにかを育てるキッカケを創ることになる。 愛情は貯金できると言う。幼い時に親や先生からたっぷり愛情を受けて育った人は、他人にもその愛情を分け与えることができる。育つ時に愛情を受けられなかった人は、友人やその子供にも愛情を分け与えることができず、暴力を振るったり非行を再生産したりする。 同様なことは才能についても言えるのではないか。優れた師に恵まれた弟子はその才能を大きく伸ばすことができる。まして先生が天才をもっていればそれが子供の可能性にどれだけの刺激を与えるかは容易に想像できる。 私がかつて沖縄問題に関する政府の委員会の座長をしていたとき、マキノ正幸という人物に出会った。アクターズスクールを主宰し、安室奈美恵を育てた人だ。世間とは物議をかもしたことも多いが、スクールに通う子供達はマキノ氏の前では眼の輝きも身体の動きも別人のようになる。彼には天才があるのだと私は感じた。 最近、オーケストラ指揮者の大友直人氏と夢を語り合う機会があった。大友氏は世界の若い音楽家の俊秀を日本に招いて共体験を積んだり、子供にオーケストラを聴かせる企画をするなど、音楽の世界での人づくりに熱心にとり組んでいる。 私達の夢は、天才をもった芸術家と子供達の真剣な交流プログラムを、人づくりの運動として展開できないか、というものである。天才は、音楽家や画家など芸術家に限る必要はない。スポーツでも工芸でも数学でも良い。本物の天才と新芽のような純真な子供達の真剣な交流から人のもつ無限の可能性を引き出すのである。そのような教育があってもよいのではないかと、最近、幼稚園に通いはじめた孫の純真な眼差しを見て思うこの頃である。
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