誤解された改革の意図
「改革なくして成長なし」と唱える小泉政権では構造改革がキーワードだが、その構造改革がなにを意味するかについて誤解と混乱があるように思われる。
小泉純一郎首相は日本経済のさまざまな資源が有効に活用され成長の活力が生まれてくるような改革を意図しているはずだが、世間では特殊法人の改革と不良債権の処理が強調されてきたため、そうした改革を遂行するにはまず「景気対策を優先すべし」とか「痛みの先の姿が見えない」といった批判が出る。また需要不足の経済で供給サイドの「構造改革はデフレを助長する」という批判も強まる。
小泉政権は「五百三十万人雇用創出計画」のような需要創出型の構造改革構想を最初に提示していたのだが、その位置づけが不十分だったため構造改革の意図が正しく理解されてこなかったように思われる。需要創出型の構造改革とは経済社会の潜在需要を顕在化させるような商品を提供しやすくする構造改革である。
五百三十万人計画の例で言えば、サービスに対する人々の潜在需要(ウォンツ)を顕在需要(ニーズ)に転化する新しいサービス産業を規制改革などの構造改革で支援して発展させ雇用を創出することである。
日本経済はたしかに、現在、デフレに歯止めがかからないほど需要不足不況に陥っている。しかも金融や財政など伝統的なケインズ型の需要創出策は行き詰まっている。さらに、長期的には人口減少が見込まれるため、潜在成長力も大幅に減殺されるという見方が多い。これらが日本経済の将来展望を著しく悲観的なものにしている。
日本経済には需要が牽引する新しい成長の可能性はないのだろうか、伝統的な成長会計で分析すれば労働力投入の減少はたしかに成長の可能性を低めるだろうが、過去の経済成長の分析結果は成長要因の大半が労働投入よりも技術進歩や資本・労働の生産性上昇にあったことを示している。とすれば、これからの日本経済に新しい技術進歩や生産性の上昇を引き起こす可能性があるかどうかが問われなければならない。
青木昌彦、吉川洋両教授によれば、経済の技術進歩と生産性の向上は、商品や産業のS字型の発展が踵を接して起きることで説明されるという。S字型とは、商品や産業が社会に普及する過程で急速に発展し、やがて行き渡るにつれて鈍化するパターンである。S字型の発展を誘引するのは社会経済の潜在需要であり、これを顕在化させる商品がS字型の発展を引き起こす。
潜在需要の顕在化促す
戦後日本の目覚ましい経済発展のプロセスもこうしたメカニズムで説明できる。戦災の廃墟の中から鉄鋼、造船、機械、自動車、電子機器などを次々に輸出産業として発展させたが、それは実は大きな内需を基盤として実現したものであり、その内需はアメリカなど先進国へのキャッチアップをめざす国内の潜在需要が顕在化したもので、その進化が連鎖的な産業発展を誘引したといえる。
ポスト工業化段階に入った日本経済がその潜在成長力を実現するには、これまでの工業化時代の高度成長経済で確立した技術や商品ではなく、これからの高齢成熟社会の潜在需要を顕在化させる技術革新やビジネスモデル、そして制度改革が求められる。
ところが、今日の日本の最大の問題は、新しい歴史的段階に入った経済社会のウォンツをニーズに転化させるための経済社会システムや経営モデルの思いきった革新ができないところにある。なぜ、必要な自己革新ができないのか。
それは、かつての「成功」を実現した産業、行政、政治、社会制度、メディアなどの複合構造があまりにも強固に確立したため、システムのみならず思考そのものが固定されてしまっているからであるように思われる。日本のこうした不適応は、個人の膨大な貯蓄や金融資産が蓄積されている一方で、何千万人という生活者が将来不安を抱えて満たされない日々を送っているという特異な矛盾に明瞭に表れている。
高齢者のケア問題はその典型だ。現在日本では二百九十万人の老人が要介護認定を受けているが、特別養護老人ホーム、老人保健施設、療養型病床群など手厚い補助のある施設でケアを受けられるのは七十万人に過ぎない。要介護者が毎年十万人以上も増加していくのに、社会福祉法人が補助金のほとんどを吸収してしまう旧来の仕組みでは財政制約の下で施設の増加は二万人分程度に過ぎない。
子育て支援も同様だ。現在一万三千カ所の高基準の公立保育園と約一万カ所の補助の厚い社会福祉法人の保育園で百八十万人が保育を受けているが、財政制約でその増加は限られる。高学歴化の下で女性の社会進出意欲が高まっているが、都市部では保育サービスが極端に不足している。子育て期の労働力参加が現在の五割から先進国並みの七割になるにはあと百五十万人分の増加が必要だ。
最大の不安は住宅問題だ。日本には現在四千四百万家計に対して五千百万戸の住宅があるが、中古住宅市場が未整備なため大半は市場価値がつかず転売できない。高度成長時代以来の持ち家政策が住宅の流通を軽視したツケである。高齢化社会では多くの人々が加齢に応じて住まいを変える必要があるが、家が売れず減価することが深刻な将来不安の根因になっている。
こうした不安や不便は、それを解決するサービスさえ提供されれば、それを購買する顕在需要に転化し、産業や雇用が創出される。
高齢者ケアや保育で、帰省や保護が撤廃されれば、民間企業が参入し人々の膨大な潜在需要は巨大なサービス産業に転化するだろう。そうなれば補助金は本当の社会的弱者の支援に集中できる。性能検査や税制などで住宅の流通市場が整備されれば、住宅サービス産業が発展するだけでなく、老後不安が減って保蔵されていた貯蓄が消費され、経済が活性化する。同様な問題と可能性は、医療サービス、健康づくり支援、社会人教育、都市整備、生活者移動支援、法務サービスや環境ビジネスなど多くの領域に伏在する。
上述の「五百三十万人雇用創出計画」は、このように、規制改革によって人々のウォンツに応えるサービス産業を発展させ雇用創出をめざす、需要創出型構造改革の具体例である。この計画は空想でも楽観でもなく、製造業、農業、建設業などの雇用減少を補い女性や中高年の潜在労働力に就業機会を提供する必要不可欠な現実的政策案である。
高齢化が進み情報化した日本のような成熟社会は、健康、安全、快適、生きがいなど人々の本源的なウォンツを、具体的なニーズに翻訳する商品やサービスを開発する絶好の実験場だ。開発は、これまでのような個々の製品を超えて、より広く、より深く、トータルな仕組みや機能の創出に向かうだろう。
高度な技術が成長の基盤に
例えば、車が高速道路交通システム(ITS)など社会システムの構成要素となるのと同様に、住宅は、百年以上の耐久性、柔軟な可変設計、高いエネルギー効率と同時に、有機的人間的なコミュニティー総体の機能単位として作られるようになるだろう。また、医療は患者の治療だけでなく、あらゆる人々の健康を増進し生きがいを高める総合的な「快適医学」に進むだろうし、環境技術も、局所的な保全から、最適な生態循環を設計し維持する総合体系に進化するだろう。
こうした進歩を誘引できるのは、貯蓄などの資産があり、美しい自然に恵まれた、高齢成熟社会の人々の潜在需要であり、IT、ナノテク、バイオなどの進んだ技術基盤がそれを可能にする。その成果は、やがて成熟化する国々や地域へ移転しうる価値ある技術やサービスになるだろう。
需要創出型の構造改革は、新たな時代のウォンツに応えることで、日本の可能性を最大限に引き出し、上記のような新しい技術進歩と要素生産性の向上により、新しい成長と国際競争力を生み出す知恵である。
「改革なくして成長なし」とは特殊法人改革と不良債権処理だけではなく、過去の構造と思考の制約から自らを大胆に解き放ち、未来に向けて日本の潜在力を最大限に開花させようとする意志と知恵を意味するものと考えるべきである。
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